『食べる』編

発症からの経緯(2016/3~7)

更新日:

発症からの経緯をまとめました。

急性期病院から回復期リハビリ病院に移るまで、私達家族は何をどうして良いのかわからぬまま、病院や医師の指示に従ってあっという間に時間が過ぎていった印象です。
今振り返ると、病気や医療に関する知識があればもっとこうしておけばよかった、と思うことは多々ありますが、一般人にとっては、突然やってきた医療的出来事への対処は限界があります。

結果的に、脳出血の合併症をひととおり経験したため、安定的にリハビリができるようになるまで約4ヶ月かかりました。

以下、発症からの経緯です。

<2016年3月14日>
妻、30代でくも膜下出血を発症する。
私が仕事中に妻から電話があり「あのね、体の右半分が動かない」と。一瞬何が起こったのかわからないまま「すぐに行くから」と答えてオフィスを飛び出した。その電話が妻の声を聞く最後の瞬間になるなんて、その時は思いもよらなかった。

救急病院に到着すると医師から説明を受ける。
「脳出血をしています。症状は重いですがまだ年齢が若くて回復する可能性はあるので手術をしましょうか」と、命の選択を迫られる。その場で、”妻は重度の後遺症を残してまで生きたいとは思わないので手術は不要です”などと言えるはずもなく、ただ医師の言葉に従い「お願いします」と答える。その時すでに意識がなくなっていた妻に「頑張れ!絶対家に帰るよ!」と声をかけて見送る。

開頭手術を受けた後にICUに入院。頭には包帯がぐるぐる巻かれた状態で何とも痛々しい。ICU入院中は短時間の面会しかできないので、家族が入れ代わり立ち替わり面会に行って声かけをするが特に反応はなく、意識が戻らないまま毎日を過ごす。
脳出血の原因はおそらくAVM(脳動静脈奇形)ではないかということ。10万人に1人くらいの病気とのこと。

<2016年3月23日>
ICUからSCU(脳卒中ケアユニット)に移動する。
発熱が続いていたり、心拍が140~150に上がって苦しそうにするなど、状態はあまり変わらず寝たきり状態。
引き続き毎日家族が面会して体を触ったり話しかけたりを継続する。

<2016年3月27日>
合併症である脳血管れん縮(脳出血により一時的に血液にさらされた脳血管が細くなり血液の流れが悪くなる症状)に起因して脳梗塞を発症。血管を拡張する治療を実施する。

<2016年4月3日>
これまでは目を開いたり閉じたりを繰り返していたが、この日は両目をしっかり開いて話を聞いていて、左腕を少し動かしたりした。意識が少し戻ったような気がした。(発症から約3週間経過後)

<2016年4月11日>
徐々にできることが増えてきた。
・首を左右に動かす
・左手でベッドの柵を触る
・「握って」と言うと左手をグーに、「開いて」というと左手をパーにすることができた。話しかけた内容を理解しているようだった。
このころ、回復期リハビリ病院への転院を促される。

<2016年4月29日>
回復期リハビリ病院に転院。

<2016年5月7日>
再び脳出血を発症。当初出血した箇所とは別の部位で救急病院に逆戻り。脳室にカテーテルを通す脳室内ドレナージの手術を行った。脳室内の髄液に混じった血液が体外へ排出されるのを待つことになるので、本人はベッド上で絶対安静な毎日が続く。

<2016年7月1日>
水頭症(脳室内の髄液が通常より多く溜まり脳を圧迫する症状)の傾向が見られたため、VPシャント手術(脳室内の髄液を皮膚の下に通した管により脳からお腹の中へ流す処置)を実施。

<2016年7月27日>
水頭症の症状が落ち着いたため、再び回復期リハビリ病院に転院。
ようやく、本格的なリハビリを開始。

【ご参考】回復期リハビリ病院に転院した時の体の状態
・右半身、左足は動かない。左手は少し動かせる
・体幹を動かすことができないのでベッド上で寝たきり。自力で寝返りはできない
・体の各関節は固くなっていて曲がりにくい
・失語症で言葉を発することはできない
・栄養や水分は鼻からチューブで胃へ直接送り込んでおり、口から食べていない
・意識障害があり、目をつぶって眠ってしまうことがよくある
・高次脳機能障害あり。話しかけた内容をどこまで理解しているかは不明
・気管切開をしたので喉に穴が開いている

 

次のページへ
【食べる編】経鼻栄養のみの半年間(2016/3~9)
次のページへ
【家族編】 発症した当日のバタバタ(2016/3)
目次へ戻る
目次
前のページへ
はじめに

 

Copyright© 864053.com , 2024 All Rights Reserved