『家族』編

発症した当日のバタバタ(2016/3)

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2016年3月、妻と私と、3歳の娘、0歳4ヶ月の息子の4人で平和な毎日を過ごしていました。妻は育児休業中で息子と自宅で過ごしており、私は仕事、娘は保育園へ通う日々でした。

そして3月14日。

雪まじりの雨が降る寒い日でした。
妻は息子の写真を撮るために写真館へ行ったところ、そこで嘔吐、意識喪失して病院へ救急搬送されました。外は寒く、写真館の室内は赤ちゃんが裸で写真が撮れるように温かかったため、その寒暖差で脳の血管に負荷がかかったのかなと推測します。

私は電話を貰って病院へ駆けつけました。
写真館のスタッフの方が息子を抱っこして救急車に同乗してくれており、救急の待合室で待っていてくれました。医師と今後の対応について会話し、妻を手術室へ見送り、入院の手続きをしてひと段落したところで、この後どうしようと我に返りました。時間は15時。妻は手術中。娘は保育園にいる。息子(0歳4ヶ月)は初対面の人に面倒見てもらっている。

まずは親に連絡しようとしましたが、妻の両親の電話番号がわからない。
妻の携帯が見られれば電話番号わかるのですが、ロック解除する暗証番号がわからない。
でもそこで、とりあえず妻の生年月日を入れてみるとロック解除できてしまう。
わかりやすい暗証番号でありがとうと感謝しつつ、義母に電話をするが出ない!
実家に電話をして義父につながり、急ぎ義母に東京に来てもらうように伝える。
実家は山口県なので、早くても5時間はかかるので東京到着は20時予定。

それだと人手が足りないので、私の両親にも電話をする。
父が東京へ来てくれることになりましたが、私の実家は三重県なので早くても3時間はかかる予定。

息子を見てくれていた写真館のスタッフさんに、このあとも病院で色々あるでしょうから1日預かりましょうかとご提案いただき、そのご好意に感謝して病院で粉ミルクとおむつを買って渡して見送りました。

父には娘を保育園に迎えに行ってもらい、一度病院に連れてきてもらうようにお願いしました。ちょうど2ヶ月前に息子のお宮参りで父が東京に来た際に保育園の場所を案内していたので、スムーズに迎えに行ってもらうことができました。避難訓練のように万が一に備えた練習は大事だな、と思いました。

義母には息子を写真館のアシスタントさんの家に迎えに行ってもらうようにお願いしました。

20時過ぎに父と娘が病院に到着。
しばし娘と会話。ママは病気と闘ってるから頑張って!とお祈りしてね。今日はおじいちゃんと寝てね。と話して、父と一緒に家に帰ってもらう。娘とおじいちゃんが二人っきりな状況は初めてなので、大丈夫かと不安になりつつも見送る。

21時くらいに妻の手術が終わり、医師と会話した後にICUにいる妻の様子を見る。頭は包帯でぐるぐる巻きで人工呼吸器をつけてビクともしない様子に言葉もなく、頑張って!と願ってその日は家に帰る。

家についてマンションのエレベーターに乗ったところ、ピンクの長靴が片方落ちていることに気がつく。
娘の長靴。
きっと、父とタクシーで家に着いたけどママがいいって泣いて、しょうがないから父がだっこして抱えて家に帰ったんだろうな、という絵が目に浮かぶ。
寂しい思いをさせてごめんね。

息子を迎えに行った義母も家に帰ってきて、ドタバタな1日が終わりました。

その夜、子供たちを寝かせて自分もベッドに横になるも、色々な感情が湧いてきてなかなか眠れませんでした。
これは夢?現実?夢であって欲しい。でも自分は今日1日色々動いたから現実かな。何か予兆はなかったのだろうか。それに気づいてあげられなかったのだろうか。明日からどうしたら良いのだろうか?
そんな絶望感に浸りながら疲れて眠ったような、眠れなかったような、不思議な1日でした。

エレベータの中にポツンと落ちていた娘の長靴

 

 

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